侘び茶の祖 村田珠光
室町時代中期から後期にかけて、茶の湯の文化は大きく変わってくる。
茶の湯の特徴は、豪華な唐物道具を飾り立て、華やかでにぎやかな宴会である。それに対して、質素で倹約、日本的な美意を意識した茶の湯が生まれた。これが村田珠光(1423~1502)の茶の湯である。
村田珠光は大徳寺の一休とも交流があり、禅の精神を茶に取り入れて、日本的な茶の湯である、侘び茶を体制させた。
村田珠光の言葉
「和漢のさかいをまぎらかす」
唐物中心の茶の湯の道具に対して、和物を取り入れて、唐物と和物を調和させて新しい美を作った。
「月も雲間のなきはいやにして候」
雲がない空に浮かぶ月はいやである。雲がない空に満月の月が輝くよりも、雲の隙間で見え隠れする月の方が美しい。完成された美よりも、不完全なものに美を求める。これが詫びの美意識である。
村田珠光は中国の要素が強かった茶の湯に、日本独自の要素、道具では(和物)、心では(詫び)を取り入れて、新し日本的な茶の湯、侘び茶を確立した。
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